
最初に、確かに恐ろしいことがあったことだけは感じる。ただ著者が言うように、その人の痛みはその人のみが理解しうるものであり、他者には近くに感じることが出来ても、その通りの痛みを感じることが出来ないのが現実であることを記載する。
其れを受けて、人間が人間として活動するに当り、一つは横軸に時間、縦軸に価値観をおく。時間は不可侵の過去、不可避の現実、不可視の未来で成り立つ。そして価値観は相対的なものと絶対的なものとに分かれる。人は生きて入り限りこの横軸と縦軸の間で行ったりきたりを繰り返すのだが、特に極限状態においては人間は刹那的にこの行き来を行なう。
これまでの思い出を存在の意義としながら、数分後に死ぬかもしれない状況にあり、なおかつそれを認めながらも、ただ生き延びるということのみが目的である重い十字架を背負いながら、あの人たちよりもマシな状態であることに安堵し、そして絶対的な自分の価値は目立たない没個性(番号)として自己否定することにより、死におびえながら、ただ一瞬の生にすがる。
生命としての存在としてよりも、労力として存在することのみが唯一のよりどころとなり、そしてその中でどう生き延びるのかのみに注力し、存在することは崇高なことではなく、たまたますり抜けた一瞬の重なり。
そこに神は存在せず、生命はほんの些細な人間のサディスティックな突発的感情に依存し、自己の生存本能は無に等しい。人間の残酷さと極限におかれた運の左右。追い詰められた10秒将棋のように一手も間違えることの出来ない中、自分でコントロールできるのは生きることに対して何もできないがゆえの偶発的な出来事を願うことという誰もができる没個性の行為のみなのである。
たとえ生き延びたとしても、結局は不可視の未来から逃れることは出来ず、現実と向き合わなくてはいけない。過去の記憶にすがるのは生きることにおいては全く意味を持たない。
諦観に近い感情を持ちながら、いかに自分という全く特別ではない存在を認識したうえでも、生き延びることだけが目的となる環境の中で人間のあり方が問われる。
この環境下で人間としての尊厳を保ち続けることが出来るのか、答えは明確にされないまま、逃げられない過去、見えない未来、避けることのできない現実にどう向き合ってサバイブするのか。
客観的心理学的に記述される内容は、究極の一般論としていつまでも存在する。「幸福」として考えられることができる短い人生のサイクルの中で自分という存在を整理しながらどう生きることができるか、を問いかけてくる。はたして、今の自分はただ心臓が動いるのみの存在に過ぎないと考えさせられる一冊である。
そして夜が明けても、霧がはれても、そこに自分の考えていた希望とは違う現実が存在することを冷静に明かしているという部分にまで踏み込んでいる筆者の冷静な見解に、人間の本質の片鱗に触れたことを最後に付け加えておく。
夜と霧
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