お花見をするジェイド

お花見をするジェイド

今年は桜がいつもよりちょっと早く咲いていて、3月の終わりに皆で花見に出かけた。

いつも桜を見ていたベンチは現在工事中だったので、別の場所でベーグルとコーヒーを飲みながら1時間くらい佇む。ジェイドは飽きて寝てしまった。うららかな春の一日。

この日の夜、大量に吐く。2日分くらいの食事が全く消化されていなかった。翌朝、胃に何も入ってないため胃液だけを吐く。すぐにかかりつけの病院に行き、血液検査と対処療法として胃酸を抑える注射と胃を動かす注射を打つ。注射は嫌がりはするものの、吠えたり暴れたりせず観念したように大人しく打たれてくれた。


異物を食べたわけでも無く、血液検査の結果も悪くない。かかりつけのお医者さんは、大きな設備はないがしっかりと丁寧に説明してくれた。

食べない以外はいつもと同じ様子なので脾臓の血液検査、エコー、レントゲンは撮らずに様子を見ることに。夜には薬が効いてきたのか食欲が戻り、ご飯を少量だが食べる。翌朝はご飯と薬を完食。

もうすぐ6歳になるジェイドといると、そろそろ最期のことも考え始める。なんとなく出てきた言葉は「納得感」だった。

これまで自分がジェイドにどれだけしてあげられたのか、これからどれだけしてあげられるのか。つまりどれだけ自分がジェイドのことを考えることができたのかという時間に比例するのだと思う。

そして、それを例えば獣医師にもそれを求めてしまっていた。おかげさまで現在のかかりつけの先生はとても正直に、時間をかけてわかりやすく丁寧に、そして私たち飼い主とジェイドのことを第一に話をしてくれる信頼のできる方だ。この自分が納得したいがための時間の押し付けは、飼い主のわがままで、本当は正しくないことではないだろうか。

「あなたは十分にしてあげましたよ。」誰かにこの言葉を言ってほしいだけなのかもしれない。

いろいろな方にお世話になりながら、楽しくもいつかは終わる犬との生活は続く。

この記事を書いた人

妻と愛犬ジェイド(女の子)と暮らしています。 老眼鏡を新調したのを機に、積読していた本を少しずつ読み始めました。

派手な生活ではありませんが、犬と眼鏡と本と音楽とコーヒーあれば十分。そんな日々の断片を、記憶がわりに書き留めています。