焚き火の前の二人ー星野源と松重豊の「おともだち(NHK)」を見て思うこと

NHKの『おともだち』を見ていると、不思議と心が凪いでいく。 星野源と松重豊。二人が旅先で、ただ好きな音楽を流し、ボソボソと語り合っている。 派手な演出もなければ、大げさなリアクションもない。 けれど、その光景を見ていて、ある既視感を覚えた。 「あぁ、これは焚き火だ」と。

誰かに好きな音楽を教えるとき、私たちはつい構えてしまう。「気に入ってくれるかな」「センスいいと思われたいな」。そこには少なからず「意図」という雑念が混じる。 けれど、この二人は違う。 彼らは、相手に阿るわけでもなく、自分をアピールしようともしていない。 ただ、二人の真ん中にある「場」に向かって、それぞれの懐から「好きな曲」という名の薪を取り出し、ぽん、とくべているだけだ。 「最近、こんな薪を拾ってね」 「へぇ、いい形だね。よく燃えそうだ」 そんな風に、ただ炎(音楽)が大きくなったり、色が変化したりするのを、並んで眺めている。

焚き火の前に座ると、人は不思議と正直になる。沈黙さえも、心地よいBGMになる。 あの番組で、二人が時折見せる長い「間」や、言葉にならない頷き。 それは、音楽という炎がはぜる音を、共有している時間なのだろう。自分を知ってほしいわけじゃない。相手を変えたいわけじゃない。 ただ、同じ火を囲んで、時々薪をくべる。そんな「おともだち」となら、どんなに寒い夜でも、豊かな時間が過ごせるはずだ。

もちろん、そんな相手がいなくたって構わない。 一人なら一人で、自分の部屋の暖炉に火を入れればいい。 誰にも邪魔されず、自分の好きな薪だけをくべて、パチパチとはぜる音に耳を傾ける。 誰かと囲む焚き火も、独りで温まる暖炉も、どちらも等しく温かい。 でも好きな人どうしが集まって瀧をくべ続ければ、その火はずっと消えない。

この記事を書いた人

妻と愛犬ジェイド(女の子)と静かに暮らしています。 老眼鏡を新調したのを機に、積読していた本を少しずつ読み始めました。
派手な生活ではありませんが、犬と眼鏡と本と音楽とコーヒーあれば十分。そんな日々の断片を、記憶がわりに書き留めています。