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怒りがなくなると鈍感になる

20年くらい前にblogというものが流行った。様々なネットワーク系の企業がそのプラットフォームを提供してくれていた。子供の頃に文筆家になりたいと密かに思っていた僕は恥ずかしげもなくそのサービスを使って拙い写真と文章を書いては誰に見てもらうというわけでもなくアップしていた(今と同じようなことを前もやっていたのだ)
当時は毎日事件はないが、書きたいことがありすぎてとにかく短い文章を書きなぐっていた。そのエネルギーの源は、今思うと「怒り」だったのではないかと思う。どうにもならない自分、環境、仕事。いろいろなものに多感に反応し、感情をそのままに、そして内省というナルシズムでぬらぬらと。
5年目くらいには、月間50万以上のアクセスがあったが、40代になったくらいで記事を書けなくなって自然消滅した。情念のようなものが無くなってしまったのだろう。でもあれから約10年経って同じようなことをまた始めている。もちろんSNSや他のサービスなどを使うことも考えたが、結局このスタイルを選んだ。あの時と違うのは、書くことが思い浮かばないということだ。
日々の生活で、イライラするようなことはあるが、怒りはあまり感じない。同じように喜び、哀しみ、楽しみもない。あ、僕の周りでもだんだん亡くなる方が増えてきだして哀しみは増えているかもしれない。でもまだめったにあることではない。感情の起伏のない生活は、なにかに気づくチャンスを失っているようだ。
僕はプロのライターでもないし、なるつもりもないが、できれば良いものを書きたい。感情が平坦になった中で、僕は何を面白いと思うのか。今度はゆっくり長く続けられると良いなと思う。