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桐島、部活やめるってよ(朝井リョウ/集英社)
高校生にとって「覚悟」とは
「桐島、部活やめるってよ」というタイトルだが、時系列的には「桐島、部活やめたってよ」が正しい内容だと思うがやはり「やめるってよ」がすべてを物語っている。
桐島は、部活をやめることを登場人物たちに誰一人として相談しておらず、それでも皆の中に桐島がどこかにひっそりといる。「桐島」という名前は「記号」として存在するだけ。皆が感じている「桐島」は「自分で大切なことを決めて実行した」行動だと思う。
見かけだけで地位が形成されるという残酷であり退屈な世界=高校において、「部活をやめる」という決断をした桐島。白いキャンバスで、たくさんの可能性がありパワーもある時に、所属から離れるということに対する畏怖と尊敬こが物語の根っこなのだ。
何かを決めるということは他を捨てるということ。所属先をなくしても桐島であること。独立した存在こそが桐島。それは覚悟の話だ。
何かをやると決めたものには光が差し込む
桐島の部活をやめるという決断は、さざ波のように小さな高校という社会の中でざわざわと広がっていく。前述したように「やめたってよ」ではなくて「やめるってよ」というところが味噌なのだ。皆、誰かに自分の人生に影響する決断をしてほしくはないし、もし決められてしまうなら先延ばしにしてほしい。
だから「結果が出ていない=可能性がある」としたまま、なんとなく一日を平穏に暮らす。昨日と今日の違いもなく、今日と明日の違いもないまま、決められた卒業という日を迎えたいと思っている。
ただ、桐島がやめたことによって、ほんの僅かな生徒たちは、「自分で」何かを決める、やりたいことを見つけるということがいかに重要であるかを、直接的ではないにしてもなんとなく感じ始める。子供でもなく、大人でもない舞台が高校だからこそ成立する物語。
きっと桐島は誰にも相談せず部活をやめた。自分で自分のことを考え行動した。「本当ににそれで大丈夫なの?もったいないね」から一歩進んで、自分はどうなのかは考えない生徒(それはそれで幸せだと思う)や、我がことと受け止めて焦りを感じたりする生徒の心模様を端的に表した秀逸なタイトルだと思う。