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転がる香港に苔は生えない (星野博美/文春文庫)
これは返還期の香港の話
返還期の香港にまさに入り、感じたことを赤裸々につづる筆者。変わり続ける香港がもしかすると止まるかもしれない返還。これまでの香港に「慣れる」ために、様々な人の話をきき勉強していく筆者。
環境に慣れるためには今まで生きてきた自分の魂を変化させていくことだ。香港人に戸惑い、傷つき、慰められ、笑顔にさせられ、結局自分のルーツである日本人であることを「誇り」とし、閉じこもった世界で持つ誇りに意味はなく、広い意味で国際交流しての「誇り・矜持」ならば大切であることに気づく。
私は香港中国返還の10年後、香港で半年間暮らしたことがある。悲壮感などなく、10年祭として大賑わいだった。観光で来る大陸人(中国人)たちは、相変わらず、ホテルを荒らしまわり、人民袋ぱんぱんに荷物を詰め込み、ブランド品を手当たり次第に買っていた。そんな大陸人を香港人は、同じ国だけど別の生物のように、少し引いた目で見ていた気がする。
毎日を生きるために積極的な香港。ゲップをしまくる香港。香港で生まれたことを誇りに思う香港。カナダやオーストラリアに留学する香港。人は香港をハブ空港として世界を左から右に、狭い香港にそびえ立つ摩天楼を上から下に、縦横無尽に動いていく。
イギリスの植民地であったことも利用してさらに進もうとする、一部の経済的自由をもった特殊なその力は、根無し草の集合体が、限られた土地で生きるために選んだ手段なのかも知れない。そして、同じくイギリスに統治されたインドとはまた違う活力を持つ。
香港に恋して
筆者は香港で卒業試験を自分で設け、ピリオドを一度打つ。この本は筆者の香港に恋をしていた話だ。私も香港に住んでいた時には嫌だと感じることも、わからない文化の違いもあった。自分は絶対に香港にずっと住むことはできないことがわかっても、やっぱり香港は好きだとと言える。
この気持ちはとてもプラトニックもので一方的な片思いだ。それはまるで初恋のように、心に引っかき傷のようにがいつまでも残り熟熟と膿んでいく。その膿は失ってしまったその時の好きだという気持ちの大きさに比例するが、いつか自分を形成するための大きな宝となる。今だからこそ、再び現在のの香港を見ておかないと、と強く思った。