走ることについて語るときに僕の語ること(村上春樹/文藝春秋)

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走ることについて語るときに僕の語ること
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どうして村上春樹の読み物は、村上春樹なのか

村上春樹が走ることが好きなことは有名だが、この本は別にマラソン本というわけではなく、走ることは素晴らしい(もちろんそうだが)と語っているものではない。 走ることを通じて、彼が本能と経験を通じた考えが書かれている本だ。

そういう意味では、彼がこの本で書いてあるとおり、エッセイではなく、メモワールという表現がぴったりなのだろう。と言ってもジャンルでわけることはあまり意味が無いが。

走るというシンプルな活動と彼のシンプルな考え方のフィルターを通すことで、走ることは私達の人生に役に立つ普遍的なアドバイスに満ち溢れていることにすぐに気づく。それをたくさんの比喩を使い、一生懸命にそしてクールに説明してくれる。どうして村上春樹の読み物は村上春樹なのか、ということが読むとだんだん分かってくる。

私は別に、村上春樹の本が全て好きなわけではない。偏愛に近いものもあれば、途中で飽きても終わりまで義務的に読んだ本もある。そしてもちろんハルキストでもない。ただ、この本に関して言えば、おそらく手垢がつくほど何度も読むことになるだろうし、ずっと持ち続ける本になるだろうと思う。

それは、彼の本を読み出して約30年たち、勝手に変な親近感を持っているからかも知れないし、私がこの先のことを考えて弱気になってて、人生の先達の言葉が欲しかったからかもしれない。ただそうだと全てを認めたとしても、この本が素晴らしいのは何一つ変わらない。

彼の価値観の線引はまるで絞りを開放にして撮影する写真のように一定の空間軸に確かに存在する。ピントの前にある空間軸の手前にあるもの(それは弱い立場の大衆と言っても良いかもしれない)を愛す。 エルサレム賞のスピーチでもあった
“Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”はそれを表現しているし、一番近くにあるのは読者であることは間違いないだろう。

我々はこの本を通じてすべきことは、村上春樹というカメラのファインダーに目を近づけてそっと彼の価値観というレンズを通した世界を覗くだけでよい。 そうすれば、彼が本能で感じたこと、経験したことにより学んだことを きっと少しは感じることが出来るのではないだろうか。

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この記事を書いた人

老眼鏡を作ったら本を読むことがもっと楽しくなりました。保護犬を迎えたら仕事重視だった人生が変わりました。
犬のこと、日々のこと、旅したところ、好きな本、興味のあるものについて書き連ねていきます。

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